ゆるミニマリストが時間を大切にするために変えた3つの人との付き合い方

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ばぶ

こんにちは、ばぶです。
人付き合いって大変だよね。
気を使ったり、気を回したり、気を揉んだり。

人と出掛けるのは嫌いじゃないし、飲み会やイベント参加、旅行も楽しい。

だけど、帰ってきたらなんだか気持ちも疲れてぐったり…。今度は断ろう…と思いながら、呼ばれるとまた出掛けちゃうって人、意外と多いんじゃないかな。

ばぶも以前は、楽しいんだけど同時に周りの顔色をめっちゃ見て、なにが対応の最適解なのか必死に考えながら人付き合いをしてました

常に頭フル回転で、空気が微妙になると「私今なんかヤバいこと言っちゃったかな、すみませんすみません」って気持ちで必死で挽回しようとしたり

できるだけ大勢の人を不愉快にしないように、みんなに嫌われないように。

孤立するのって辛いし、付き合いの輪からはずれてしまって、賑やかに集まる姿を見ると寂しいし。

でも、時間を大切にするために、それまでの人付き合いの仕方を全部手放しました

おかげで今、以前よりもずっと穏やかな気持ちで楽しく暮らせています。ストレスで食べ過ぎたり、衝動的な買い物したりもなくなったしね。

ということで、今回はうつで電車に飛び込みかけたことすらある私が、3周回ってメンタルゴリラになる過程で変えた、3つの人付き合いについて説明していきます。

ばぶ

みんな仲良く平和に幸せに…は、理想だけど幻想なのよね…

目次

その1:親密に付き合う相手を厳選した

初手から火の玉どストレートですが、親密に付き合う人間を厳選しました。

結局、誰だって24時間しかないんです。そして使っちゃったら、どうやっても戻らない資産、それが時間。

その大事な24時間の一部を振り分けても構わないと思える相手を、家族を含めて5人、時間をかけて厳選しました。

もちろん、その人たち以外には塩対応をするというわけではないです。

人間社会に生きるゴリラとして、接してくれる相手には礼節をもって対応します。ただ、積極的に相手のことを考えるのをやめました。

これは好意はもちろん、「いやだな」「腹が立つ」「嫌い」のような負の感情や、「なにかしちゃったかな」「自分のせいかな」という自責の感情もです。

ばぶ

薄い関係性の相手に強い感情や自責を向けて、それについて悶々と考える時間を過ごしてもしょうがないんだよね。

1日24時間しかないから、大事な人や好きなことに使わないともったいない。
でも、ネガティブな気持ちって、どうしても悶々としちゃうよね。自分のせいかなってやらかしを思い浮かべて一人反省会したり、ずるずる引き摺って思い出しては怒ったり。

わかる。私もずっとそうだった。

そこでおすすめなのは、ネガティブな思考に囚われて悶々としたとき、腹が立ったとき、悲しいとき。

「こいつに私の大事な24時間から、1分でも時間を割く価値が本当にある?どうしても考えなきゃダメ?こいつのために?」と自分に問いかけること。

あえて強い言葉で、きっぱりと。

はっきり突きつけられると、意外と「あ、こいつにそこまで価値ないわ」って思えるものです。

職場や学校などの囲われた場所で、自分が選んだワケでもない人と円滑に円満に付き合わなきゃ…って思うほど、ただ同じ場所にいるだけの、心底どうでもいい相手に心を割きがち。

でも、どうでもいい相手になんと言われようが、本当に人生にとって大した問題は起きません。大事なのは、自分の人生において大切にしたい相手との関係。

どうでもいい相手に煩わされるより、大事な人に誇れる自分であることに時間を使う方が、よっぽど人生が穏やかで楽しくなります。

その2:人に期待するのをやめる

「人に期待しない」っていうとなんだかネガティブな感じがしますよね。

人から「期待してないから」って言われたら、すごく軽んじられて、侮られてる気がする人は多いと思います。

でも、他の人に期待して、叶わなかったら裏切られた気分になって、一方的にネガティブな感情を溜め込む状況って、冷静に考えると身勝手すぎだろ…って思ったんですよ。

期待って、結局のところ、驚きや喜びの先物取引。

ところが!自分が変えられるのは自分自身の気持ちだけだし、自分が求めていることがわかるのも自分だけ…期待しても自分が相手にできることはないんです。

自分以外に期待を寄せたところで、期待以上のものが得られるかなんて、全部相手次第。

なので、期待するのをやめました。ポジティブなものも、ネガティブなものも。期待するから現実との落差が生まれてがっかりするし、行動のハードルも上がるんです。

ばぶ

とはいえ、いつもやってくれてることだから…とか、これくらい察してくれるよね…とか思っちゃうし、その通りにならないとがっかりするのが人間。
世の中「人の期待に応えられる人間になれ!」って発破かける方が多いしね。
逆に「人に期待するな、自分にも期待するな」なんて言わないし、ましてや期待レベルの調整なんて誰も教えてくれない。

そこで黙って期待して勝手にがっかりするのをやめ、「私はこれをする」「私はこれをして欲しい」とはっきり具体的に言うようにしました。

同時に明確に意思表示がないものについて、先回りして察して行動するのをやめました

代わりに、きちんと「これは必要ですか?」「いつまでにやって欲しいですか?」と確認し、お互いに了解したものはきちんとやり遂げます。

別に無言の期待を察して応えなくても、信頼は積み上げられるんですよね。

親しく付き合いが長いほど、言わなくても察してくれるよね?とか、気付いてくれるよね?とか、言葉以外のコミュニケーションに頼りたくなってしまいがちです。

でも、相手に失礼だったり迷惑だったりしたら困るし、忙しそうだとちょっと言いにくくて…。断られたら気まずいし…。
それにいちいち聞いたら、気が利かない人とか、察しが悪い人って思われないかな…。

わかります。空気読んで動けよ!とか言われがちですよね。

でも、円滑なコミュニケーションって、お互いに言葉にして伝えないと始まらないんです。

はっきりと具体的で明確な意思表示をすることは、良好な人間関係を築くために自分からできること、自分の状況を変えられることなんですよ。

そして大事なことがもう一つ。人になにかして貰ったら、心から感謝して明確な言葉で伝えることです。

感謝を伝えるのも、実は期待しないことのひとつなんです。

よくあるトラブルですが、「言葉にしなくても、状況を見ればありがたいと思っているのが伝わっているだろう」と思っていたら、相手はないがしろにされたと感じて怒ってしまったケース。

これ、言わなくたってわかってくれるだろって期待と、やってあげたことに喜んで感謝して欲しいって期待の多重事故ですよね。

なので、はっきりと「貴方が○○してくれたおかげで助かった、ありがとう」と言葉にしてます。

相手に感謝が明確に伝わるし、自分の中にもありがたいという気持ちが言語化されて残ります。

他人の感情に責任を感じるのをやめた

人の機嫌が悪いときやキツい態度、言葉を向けられたとき、いつもと様子が違うとき、「私、なにかしちゃったかな…」と、自分のせいかもと悩んだりしませんか。

どうしたのかな、なんでかな、返事がないな…って悶々としたり、悲しくなったり、腹立たしくなったりで、気持ちが沈んで落ち着かなくなりますよね。

でもね、その人の機嫌はその人のもの。他人の感情に勝手に責任を感じて、自分のせいかもしれないと思ったところで、なにもできやしないのです。

勝手に責任を感じ、ご機嫌を取ろうとするのは、相手に対して「よーちよちよち、お前は自分の機嫌も取れないばぶちゃんでちゅね~、おむつでちゅか?みるくでちゅか?それともおねむでちゅか~?」と言っているようなもの。

これって、めっちゃ失礼だなって思ったんですよ。

なので、他人の感情に対して「私のせいかも…私なにかやっちゃったかな、ごめんね…どうしたの?」と思ったり、機嫌を取ろうとしたりするのをやめました

ばぶ

そもそも、「自分のせいかも…」って思う時点で、自分は相手に対して気持ちを左右できるほどの影響力がある存在だと思ってる裏返しなんだよね。
でもさ、機嫌がよろし良くない理由なんて、星の数ほどあるわけで。
相手に不機嫌の理由を確かめずに「自分のせいかも!」と思って悩んだり、機嫌を取りに行ったりしたところで、本当の理由は本人にしかわからんのです。

なので、はっきりと理由を告げられたら対処するけど、なにも言わずに「私が機嫌を悪くしてるんだから察しろ!」という態度でいられても、「この人の機嫌を悪くしたの私かも…」と思う必要はないです。

たとえ「お前のせい」と言われても、理由に納得がいかなければ、深く付き合うと選んだ相手でない限り、話し合う必要はないので「知らんがな」で関係ごとぶん投げています。

もちろん、ごもっともな内容や理由(身体がぶつかったとか、意図していなくても失礼なことを言ってしまったとか)なら、もちろん誠心誠意謝罪しますが。

なぜそういう態度なのかという話も聞きません。理由を知る必要がないからです。

おかげで、フキハラ、モラハラ、マウントさんは周囲から一掃できました。

機嫌取ってくれないと成り立たないポジションの人は、「私のせいかも…」と思って機嫌を取ってもらえないと、途端に静かになっちゃうんですよね。

快適に生きるには、自他の境界をはっきりすること

思いやりや気遣いってすごく大事です。わかります。

でも、「自分ができること」と「本人がするべきこと」の境界ははっきりしておかないと、自分にとっても相手にとっても、不幸なことになってしまうんですよね。

相手から「これを私のためにしてください」と意思表示されていないかぎり、「なにかしてあげたい!」という気持ちは自分のもので、「相手のために」という理由付けも自分のもの。決して相手のものではないという認識は、とても大事だと思っています。

親切であること、思いやり深いこと、よく気が付くことは、相手のためではなく自分の意志ですること。

ここを見誤ると、心砕いても期待を裏切られたり、空回りして努力を誰にも認められずに疲れてしまったり、ハラスメント体質の人を引き寄せちゃうのかなと思うんです。

でも、気を使うのやめたり、付き合う相手を選んだりしたら、感じ悪いとか気が利かないとか責められたりしないかな…。

ばぶ

自分を持ち上げてよちよちしてくれないと態度が悪くなるような、貴方を尊重してくれない相手に、いちいち付き合う必要なくない?
大丈夫、そいつらいなくなっても、大事な人をしっかりと尊重して大事に扱ってれば、孤独になることないよ。
実は人付き合いは少なくて深い人の方が、広くて浅い人より幸福度が高いって研究結果もあるくらいなんだ。

24時間しかない1日を快適に過ごして、時間を無駄にしないためには、自分が大事な人、大事なものを大切にすること。

そのためには、必要のない人との付き合い方を変えるのもひとつの手段です。

ここまで読んでくれた貴方の一日が素敵なものになること、ばぶは心から願ってますよ!

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この記事を書いた人

ばぶのアバター ばぶ ゆるミニマリスト

マイペースでADHDなライター。FF14とおたよりさんと、朽ちかけた廃墟が大好き。ゆるくミニマルな暮らしを目指している元汚部屋職人。

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