人と揉めたとき、こっちは「もう無理だな、距離を置こう」と思ってるのに、「話し合いたい」って食い下がってくる人、いない?
これはあくまで主観の話、という前提。
ばぶのささやかな人生経験において、関係のもつれでたびたび「話し合おう」と言われたとき、お互いの意見をすり合わせて、お互いに満足して納得する落としどころを見付けられた事例は、極めて少ない。
大概の場合、「話し合いたい」と主張する側の意見や要求が受け入れられるまで「話し合い」が続くし、疲れ果てて「わかったもういいよ」と折れるまで「話し合い」は終わらない。
やられた側になったこともあるし、やらかした側になったこともある。
こんな「話し合」っていない「話し合い」をしたがる面倒くさい人たち。
「話し合い」たがる人たちとどう付き合えばいいのか。私の経験から少し語ってみよう。
ちなみに、話し合いを持ちかけられた側が、気付かないうちに大層なやらかしをしていることもあるよ。
自分は間違っていないという考えに固執しないようにしよう。
特に家事や育児など、家庭の問題をこのケースと同一視しないようにね!
これはあくまでも、「話し合い」と称して、繰り返し身勝手な自分の要求を通し、自分の都合で人を振り回す人間との付き合い方だ。
要求が通るまで「話し合い」をしたい人の特徴
それ、全然話し「合」ってなくね…?にどうしてなるのか…。
子曰く、彼を知り己を知れば百戦殆からずだ。
まずはどういう人種で、なにを考えているのか見ていこう。
最初に、大前提になる話をしようか。
自覚の有無は別として、相手に許容されると思って、甘えているし侮っているということを、念頭に置いておいて欲しい。
彼らは要求が通るまで対応してもらえると思っている。その「話し合い」を、途中でぶった切られてぶん投げられるとは、露程も思っていない。
立場や関係性に依存して、相手が全面的に受け入れてくれることを前提に「話し合い」を持ちかけている。
そういう人たちの特徴を見ていこう。
常に自分の目線から自分だけが主人公
人生は常に自分が主人公だから、まあ、物事の認識が主観になるのはまだいい。
だが、他人は他人の人生の主人公。自分のための舞台装置ではない。でもこの手の「話し合い」を持ちかける人は、そうは思っていない。
常に自分の目線から、自分の都合が第一に優先されるものであることを信じて疑わず、状況を確認せずに話を進めようとする。
あたかも小説や漫画、映画の主人公が、すれ違った友人と話し合い、ぶつかり合い、「わかってあげられなくてごめん」「私も上手く伝えられなくてごめんね」「もういいんだ、これからはまた仲良くやろう」と和解するシーンが、予定調和的にあるものと思っている。
そんなものあるわけないだろう。
お前が思うとおりにこっちが動くと思うな~。
だがしかし、自分だけが主人公だから、相手の都合なんてないも同然。だから話し合いを持ちかけるときも、相手の都合なんてお構いなしだ。
平日のド真っ昼間だろうが、深夜だろうが、用事があろうが知ったことはないとばかりに突撃してくる。
こちらに用事があって返事ができないと、まるで自分は相手に放置され、雑に扱われている悲劇の主人公であるかのように騒ぎ出す。
悪気はない。悪気はないけど、こっちを本当に気遣う気もない。
「でも」「だけど」「だって」を被せてくる
話し合いとは、自分の要求や感情を相手にぶつけ、相手が全面的に受け入れることだと思っている。
なので、「こちらにはこういう理由がある」「こういう事情がある」と誠意をもって説明しても無駄だ。
「でも!」「だけど!」「だって!」と被せてくるし、聞いちゃいない。
相手にどんな理由や事情があろうが、それよりも自分のお気持ちが優先され、相手はそれをすべて受け入れるのが話し合いだから、なにを言われても全否定だ。
お前がどう言おうが、こっちにはこっちの都合~!
なのに、「だけどさ」「でもね?」と言い聞かせようとしてくるやつもいる。
でもでもと被せて否定してるうちはいいが、攻撃的に「言い訳するな!」と言い出すこともある。
話し合う以上は分かり合いたい、どこかで妥協点を見つけ出したいと思っても、一方的に話を聞かせたいだけなのだから、こちらからの働きかけなどただの時間の無駄だ。
優先順位は常に自分の感情が一番
なにを差し置いても、自分の感情がもっとも優先されるべきだと思っている。それこそ、社会倫理や法律よりも。
自分が怒っている。自分が悲しい。とにかくそれがすべてだ。そして自分の欲求が受け入れられ、満たされることが唯一の選択肢であり、それ以外はない。
なので、常識を説こうが、感情で対抗しようが、すべては徒労に終わる。
自分が思うような答えでない限り、すべて自分に対する攻撃であり、自分は理不尽な状況に置かれた可哀想な存在だと思っている。
前後関係や過去の積み重ね、周りの人との関係性なんかお構いなし。
今、この瞬間、自分の思い通りに言い分が通らない自分が一番可哀想!!って思ってるのなんで~?
そして、自分が望まない状況を解消するためにも「話し合い」を提案し、わかって貰えるのだと信じている。
生まれたての新生児の方が、まだ泣き止ませて寝かしつける方法があるだけ、話が通じるレベルだ。
話し合うか否かを決める権利は私にある!!「話し合い」をしたがる人たちとの付き合い方
一番いいのは、関係を断ち切ってしまうこと。
余計なことを言う外野ごと、バッサリいってしまうのが一番。
そんな奴はあなたの人生に存在しなかった!!あなたの人生に必要ねーから!!
とはいえ、親族や職場など、そうそう簡単にはいかないことも多い。
ということで、多くの場合、受け流す必要がある。
ポイントは3つだ。
- 「徹頭徹尾、相手のペースに応じない」
- 「イニシアチブは常に自分が取る」
- 「相手に期待しない」
これだけだ。ひとつずつ、対応法の詳細を見ていこう。
相手のペースで会話に応じない
「話し合おう」と言われても、その場で話を聞かない。これが一番大切なことだ。
相手は今すぐに、とりとめもなく自分のお気持ちをぶちまけて、あなたを自分の都合に合わせてコントロールしたい。その出鼻をくじくのだ。
なんでお前の都合に私があわせなきゃいけないんだ?ぐらいのテンションでOK!!!
そのうえで、以下のことを伝え、了承しなければ断固として断ろう。
- 話し合いに応じられる日時、制限時間(最長1時間で区切ろう)
- 「話し合い」たい内容を箇条書きでまとめておく
- 「話し合い」は箇条書きで挙げた内容にのみ応じる
- 3つを飲まないなら「話し合い」には応じない
ここを譲ると、いつも通り無限にお気持ちをぶちまけられ、疲れたあなたは「わかった、そうしましょう」と言うことになる。
可能であれば、第三者の立ち会いも依頼しておこう。特に職場関係の場合、職場の外に持ち出し、酒の場などで話し合うと、最悪の結果を招きかねない。
すぐに応じないことは、お互いを冷静にするためにも有効だ。
場合によっては、箇条書きにしている間に我に返ることもある。期待してはいけないが、自分がしていることを客観視する機会を持てると、案外変わったりするものだ。
会話の主導権は自分の方が握る
相手の話したいように話させると、果てしなく脱線し、お気持ち祭りになる。
感情論をぶちまけられ、水掛け論になることもしばしばだ。
必ず会話の主導権は自分が握り、「なにを話し合っているのか」「どうして欲しいのか」「こちらはそれにどこまで応じられるのか」を都度整理し、復唱し、確認し、脱線したら容赦なく引き戻そう。
手元にメモ用紙を用意して、筆記しておくのも有効だ。
基本的にこの手の「話し合い」は、相手の要求を全部飲むという結論ありきだ。そのためには手を替え品を替え、矛盾しようがなんだろうが、こちらが疲れ果てるまで強引に押してくる。
そうならないために、会話の主導権を握った上で、問いかけるようにしよう。その際に、相手に同調してはいけないし、反論してもいけない。ひたすら問いかけ、話させよう。
相手は「わかった、そうしましょう」という言葉を待っているし、あなたの謝罪も期待している。絶対に言質を取られないよう、問いかけ以外はしてはいけない。
相手に期待しない
総じて言えることだが、「話し合い」をしたがる人たちは、あなたを自分に都合のいい備品か消耗品だと思っている。自覚の有無とは関係なく、やっていることはそういうことだ。
根気強く付き合ったところで、振り回されて疲労し、ハラスメントの数々でメンタルが摩耗して力尽きるか、散々迷惑を被って険悪になった末に絶縁するかのどちらかだ。
そして、結果的にあなたが失ったものについて、何の責任も取らない。なんなら、距離を置いて関係を絶とうとすると、自分を苦しめ悲しませたことに責任を取れと詰ってくることすらある。
話し合いに応じたところで、事情を話そうが、妥協点を探ろうが、諭そうが、聞いちゃくれない。
他人は変わらないのだ。自分の話が通じ、相互に納得できる答えに辿り着くことを、期待してはいけない。
ある日、雷に打たれたように我に返ることもあるが、それは本人の中でなんらかの気付きを得る瞬間があっただけだ。
あなたからの働きかけで、それが得られる可能性は、限りなく低い。
ソイツ人生に必要ねえから!!「話し合い」たい人たちとは離れよう
自分の要求が通るまで「話し合い」たい人たちは、かわし続けても限界がある。いずれ根元から断ち切らなければいけない日が来るだろう。
とはいえ、普通は人間関係を失うことは怖いものだ。周りから悪く言われることを思うと、少しの我慢ならと飲み込むことも多いだろう。
確かに、相手を切り捨てると、場合によっては人間関係を丸ごと失うかもしれない。
だが、それはただの縁の寿命だ。そいつら以外にも、人類は一杯いる。別れがあれば、出会いもある。
AIが発達して、言語の自然な翻訳をリアルタイムで可能にしている今のご時世、インターネットを介して、世界中の人と出会うことができるのだ。
だから、あなたの善意と人生を食い潰すような奴は、あなたの人生に必要ない。
どれだけ縋り付かれても絆されてはいけない。
好きだからと言っている奴が、好きな相手が辛い状況になっているにもかかわらず、自分の要求が通るまで「話し合い」たいと言うか?
あなたを自分が幸せになるための道具だとしか思っていない。
いい思い出があったとしても、思い出補正で絆されたところで、今後の未来はマイナスになるだけだ。
切ったこともあり、切られたこともある教訓から言い添えて、あなたの幸せを祈ろう。あと読むとちょっと元気になるマンガも置いておく。
あと、ばぶの推しパフェは資生堂パーラーのイチゴです。