【ばぶのーと】うちの家族はペットの命名センスがない

うちの家族は、動物は別に好きでも嫌いでもない父と母と、まあまあ好きな私と、関心のない弟で構成されていた。
とはいえ、情操教育のためもあってかペットはそれなりにいたし、可愛がってきた。
もちろん、人並みの倫理観は持ち合わせているから虐待はしなかったし、本人なりに愛情を注いだつもりでいる。
ただ、ひとつ、ペットを飼うには致命的な問題があった。
我が家はペットの命名センスが壊滅的に悪かった。
幼稚園時代「でぃすいず こっこら へん」
雌鶏三羽の名前だ。
でぃすいずと、こっこらと、へん。
一度に祖母の庭にやってきたわけではない。最初にいたのはこっこらだ。
当時はまだ名前はなく、「ほらこっこだよ、こっこかわいいねえ」などと親たちは幼児語を交えてニワトリを私に見せていたようだ。
そしてある日、でぃすいずとへんがやって来た。
当時、ブリティッシュ・カウンシルなるところで英語の勉強を始めたばかりの幼稚園児たる私は、得意満面で英語を披露しようとした。
そしてニワトリたちを指さし「This is Cocco…Coccoら!Hen!」と言ったらしい。
でぃすいずこっこらへんの爆誕だ。
This is a group of hens.じゃないのか。あるいはThese chickens are hens.じゃないのか。幼児に複数形は難しすぎたようだ。
三羽に増えたニワトリは、それぞれ「でぃすいず こっこら へん」と名付けられた。
のちにクリスマスのローストチキンになって子供に諸行無常を教えるまで、でぃすいずこっこらへんは庭を縦横無尽に駆け回り、お肉を引き締め、卵を産んでくれた。
おいしかったです。
小学校時代「うずらとだんなと金魚」
小学校に入学する頃、祖母との同居やめてマンションに移り住んだ我が家。
広いベランダを手に入れて、私はニワトリの代わりにウズラを飼うことになった。
ウズラは可愛いぞ。
さて、そこで難航したのが名前だ。雌のウズラが3羽と雄のウズラが1羽。
厄介なことに、ものすっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごく模様が似ていた。
ペットのウズラの識別が付く人もいるのだろうが、残念ながら我が家は誰も区別がつかなかった。
それくらいそっくりだった。
当初、私は可愛い名前を考えに考え、あれこれノートに書き出していた。
そして呼んでみるのだが、成鳥になってからやってきたウズラは、名前を呼ばれてもそうそう反応しないし懐かない。なんなら餌を入れ替える手を攻撃してくるレベル。
しかも、名前を付けてみても、移動されるともうわからない。
そんなある日、母が言った。「名前はうずらとだんなでいいわ」
三羽まとめて命名うずらである。雄はうずら三羽につつかれていじめられるので隔離してあるから、だんなの個体識別は可能だ。
かくして、ウズラたちは「うずらとだんな」になった。
なお、金魚すくいで100匹ちょっと掬ってしまった金魚は、まとめて「金魚」と呼ばれていた。もう群体扱い。
彼らは私が中学を卒業するまで元気に暮らした。
高校時代「ぢぇとぢょ」
高校時代、人生初のセキセイインコがやって来た。
その頃、本郷通りに面した東大前の薬局でめちゃくちゃインコ育ててたので、ヒナが増えると分けてくれていた。
そこからやって来たのが「ぢぇ」である。
やって来た当初は、もっと可愛い名前がついていた。ヒナ特有のぽてっとしたフォルム、隅っこでぬくぬくする姿から、「ぽて・で・すみっこ」と名付けられた。最初は。
ぽてちゃんとか、ぽてちゅけとか、ちゅけとか、だんだん原型を失いながら、可愛い名前を維持していたのだ。最初は。
次第に大人になり、卵を産みたい彼女はある日、野太い声を発した。
「ぢぇぢぇぢぇぢぇ!!!!!!!!」
「じぇ」ではない。どう聞いても「ぢぇ」だった。その日から家族は、インコを「ぢぇ」と呼んだ。
「ぢぇ」と呼ぶと「ぢぇぢぇ!」と返事をする。賢い娘だ。
調べてお年頃だとわかった我々家族は、満を持してぢぇに夫を迎えた。「ぢょ」である。
最初は弟が「ルイ14世」と名付け、ルイちゃんやルーちゃんと呼ばれていた。しかし、父が言い放った。
「ぢぇの夫だから、ぢょじゃないのか?」
ぢぇのおっと、略してぢょ。かくしてルイ14世は「ぢょ」になった。
大学時代「手羽先餃子と鳥」
仲睦まじいぢぇとぢょは何羽かの雛を育てた。健やかな子は里子に出したが、身体の弱い子は手元に残し、育てることにした。
ぢぇとぢょは子育て上手だ。我々は栄養補助フードを加えた餌を用意し、青菜を添えてやるだけでいい。
たっぷりの泡玉と青菜が詰まったヒナを見て、当時高校生だった弟がぽつりと言った。「手羽先餃子」。
命名「手羽先餃子」。
手羽先餃子はその後、手羽先餃子、餃子定食、定食と呼ばれ、やがて短くなり、二代目「ちゅけ」を襲名した。
そんなぢぇとぢょと手羽先餃子ファミリーのほかに、ある日白いインコの雛がやって来た。
赤い目に白い羽。いわゆるアルビノーという種類だ。
「ウサギみたいだからうちゃかなあ、うーちゃんかなあ」などと話している私と母の横で、父がまた言う。
「赤目でウサギっぽいからうちゃなら、育って羽に色が出たら鳥だな」
謎理論だが説得力の強さを感じ、白いインコは「鳥」になった。
大学時代その2「コッコ」
大学の途中で、高齢になった祖母と敷地内同居をすることになった。そう、でぃすいずこっこらへんの庭がある家だ。
庭ができたので、犬を飼おうという話になった。祖母も、番犬も兼ねて犬がいた方がいいという。
ということでやって来たのは、柴犬とラブラドールレトリバーのミックス。
「犬の子っこだから、コッコでいいわ」
祖母によって秒で名前が決まった。どうやら命名センスのなさは血筋らしい。子っこだからコッコなら、大人になったらイッヌなのか。
今となってはその真意はわからない。わからないのだが、とりあえず水が大嫌いで食い意地が張ったコッコは、案の定子っこなんて可愛らしいサイズでは済まない大きさに育ってしまった。
子供のうちに「子供だから」なんて理由で名前を付けてはいけない。
ヒヨコだからぴよちゃんと付けたって、3カ月後にはニワちゃんである。
アラサー時代「二代目鳥」
紆余曲折あって弟と二人暮らしを始めたころ、ペットを飼う余裕はなかった。
数年が経ち、生活が落ち着いてしばらくしたころ、多頭飼い崩壊のレスキューボランティアの募集で、インコをお譲りしますという記事を見掛けた。
そこからやって来たのが、二代目の「鳥」である。
青いセキセイインコの雄は、荒鳥だったので当然手には乗らない。
それどころか、捕獲の時につかまれた恨みが骨髄に徹しているのか、魔王を滅ぼす勇者のとどめの方がまだ優しい勢いで噛んでくる。
私は「鳥」とのコミュニケーションを取るべく、毎日毎日、朝に晩に話し掛けた。
だが、彼は私が近寄るだけで目を点にして羽を膨らませ、憎悪を滾らせる。
いつかそのうち、わかり合える日が来たらいいな…そう思っていたある日のことだ。帰宅してドアを開けたら、彼が初めて聞くような可愛い声で言う。
「キュウキュウシャミギニマガリマァッス」
何故。散々話し掛けた言葉のひとつも覚えないのに、何故通りを駆け抜けていく救急車の声は覚えるのか。
その部屋は本郷通りと蔵前橋通りの接点が目の前だ。大学病院銀座で、救急車は朝から晩までひっきりなしに走る。そしてインコは高い女性の声を覚えやすい。
理屈はわかっている。わかっているんだけど、なんでそれなんだ。
彼が生涯に覚えた言葉はたったひとつ。「キュウキュウシャミギニマガリマァッス」。
そんな彼の名前は「鳥」。戒名は「救急車右曲居士」だ。
現在「ドンドルマちゃん」
現在、ペット厳禁な賃貸に住む私は、心にイマジナリー猫ちゃんを飼っている。名前はドンドルマ。
トルコアイス「ドンドルマ」のように、白い猫ちゃんを抱き上げてにゅーんと伸ばしたい。
ドンドルマちゃん。私の心の中にだけいるドンドルマちゃん。
どうやら私も両親から受け継いだ残念なネーミングセンスの遺伝子を芽吹かせてしまったようだ。
いつかペット可の物件に引っ越したら、ロボット掃除機に名前を授けてやろうと思う。
